2018年9月11日火曜日

Tommy Nutter - Rebel of Savile Raw 読了。 自分が師匠とする人の師であり黄金期が自分が生まれた頃で読んでるときにその頃の上着を手にいれ、また自分が影響受けた70年代初期のハウスミャージックにもゲイカルチャーの側面から話がリンクし、と濃くめくるめくような読書体験はトミーの淋しげな晩年にデザイナービジネス(はっきり言って彼はテーラーでははなくデザイナー)の悲哀を感じつつ本を閉じました。 トミーナッターという皆知ってるけど誰もよくは知らない男の人生。 先にも書きましたが彼はデザイナーであり、あのルックは時代に敏感な感性が形にしたもの。80年頃にはギャルソンのボロルックに影響受けたデザインもありサビルロウでは全く理解されなかった。 しかし黄金期の輝きはパートナーのカッター、エドワードセクストンとの組合せが効を成したもので離反後彼は様々なカッターと仕事するがあの輝きは甦らなかったのは、より既製服的ビジネス構造で安価なライセンスに走ったのもさながらやはりエドワードの裁断は素晴らしかったということで後年トミーは君が人生ベストのカッターだったと告げている。 とても華やかな感覚と実地な技術が結びついたときに美の花が咲くがそれは儚い。日本のDC時代も注文服隆盛の頃の技術とスターデザイナー達の感覚が結びついたものでベンダース監督の"都市とモードのビデオノート"で山本ヨウジ氏も各メゾンには優秀な技術者がいるから真似できないと語っている。 同世代のデザイナーに激しく嫉妬するような仕事を見つけるのが難しいのはフリ屋時代の物作りにおいてそのような技術者が各メゾンにいないからだと思う。 当時の上着をマネキンに着せて眺めながら、縫製が汚かったりすることと、しかし本質的なビスポークの構造により美しいフォルムがそのままであることと、何より時代の息吹をデザインに感じ、トミーとエドワードと我が師ジョセフモーガンの各々と会話できる。 Mr.モーガンこそエドワードよりさらに職人気質な人だが彼がいまだにサビルロウで純ビスポークの小さなアトリエを営んでることの根底にはアーティストとしてのトミーへの深い愛があると感じ、僕はその愛に吸い込まれるように去年その門を叩いたのだ。 僕は自分のなかのトミーとエドワードまたはジョセフを融合させようと四苦八苦してるのだがもう少しかかりそうなので見守って頂けたら嬉しいし僕の仲間達は皆トミーが見てくれてるのでは?という気持ちで仕事している。 頭をトミーナッターと70年前後のロンドンやニューヨークからリセットしようと自分への宣言としてこんな長い文を書きました。 写真はトミーとツイギー。


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